ボン・ヴォヤージュ
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 ボン・ヴォヤージュ@映画の森てんこ森(シャイな幸の独り言)
ボン・ヴォヤージュ
ボン・ヴォヤージュとパリ陥落
2004年11月06日土曜日 「シャイな幸の独り言」トップへ
 映画『 ボン・ヴォヤージュ (2003) BON VOYAGE 』を観た。
 タイトルの“Bon Voyage ボン・ヴォヤージュ”の意味は、“Bon”は「良い」、“Voyage”は「旅・旅行」で、「良い旅を」という、旅人を送り出す挨拶の決まり文句だ。
 欧米では、この“Bon Voyage ボン・ヴォヤージュ”の言葉は、国籍に拘わらずよく通じる。フランス人はこの“Voyage”という単語が結構好きで、彼らはこの単語から多くのことを連想するのではないのかな?と私には思える。実際、フランスであれだけ人気があった宮崎駿監督の『 千と千尋の神隠し (2001) SPIRITED AWAY 』のフランス語題は“Le Voyage de Chihiro ル・ヴォヤージュ・ドゥ・チヒロ=チヒロの旅”と日本語的にはぱっとしないようなタイトルだが、矢張り“Voyage ヴォヤージュ”を使っている。

映画『 ボン・ヴォヤージュ』の映画解説ファイル
映画『 ボン・ヴォヤージュ』のあらすじ
映画『 ボン・ヴォヤージュ』のスタッフとキャスト
映画『 ボン・ヴォヤージュ』の感想
映画『 ボン・ヴォヤージュ』の参考歴史年表

 1940年6月14日、パリが陥落した日。ドイツ軍は、マイヨー門から入り、凱旋門を巡りコンコルド広場へ向かう。パリには三色旗に代わりハーケンクロイツ旗がひるがえる。パリ凱旋門を進軍するドイツ軍、エッフェル塔に掲げられるナチスの旗(当時の記録フィルムはここをクリック)。映画『 ボン・ヴォヤージュ』ではパンテオン前をドイツ軍のオートバイが進んでいく様子が描かれている、これはフランス人にとっては屈辱だったに違いない。その後のフランスヴィシー政権はドイツの占領管理下に置かれる。フランスの著名人たちの中には、映画『 カサブランカ (1942) CASABLANCA 』で有名なカサブランカを中継点として世界の各都市に亡命した人たちも少なくない。実際、ヴィシーに反対したフランス政府の閣僚の中には、内相や海相ら約20人の政治家がパリ陥落後カサブランカへ移住していたらしい。映画でも原爆を研究する教授はイギリスを目指し、夢見る作家はメキシコ行きを誘う。

 幸の映画レヴューの『 カサブランカ (1942) CASABLANCA 』の【カサブランカ 第38段落】で<ルノー警察署長がヴィシー水 Vichy water (対ドイツ協力政権のあるヴィシーの発泡性ミネラル・ウォーター)のボトルをゴミ箱に捨てた時、飛行機が飛び立った。>ときのシーンは印象深い。実はこのシーンはアメリカがフランスの国民に向けたプロパガンダとも言える。ルノー警察署長のフルネームはルイ・ルノー Louis Renault で、フランスの車ルノーの会社の設立者と同姓同名である。これは、戦後1945年ルノーの会社は国を建て直すためにフランス政府によって国営化され、その名を「Regie Nationale des Usines Renault 国営ルノー自動車工場(幸の勝手な日本語訳)」へと変えるという歴史から観ると、フランスは、ドイツ傀儡ヴィシー政権を捨て、新しい体制へと旅立つのだという比喩が読み取れる。ここにも“Bon Voyage ボン・ヴォヤージュ”がある。

 ドイツナチスのフランス占領の激動の歴史のうねりの中で、人々が翻弄されながらも逞しくもあり傍目(はため)には時には滑稽にも見える強(したた)かさで生き抜いていく人間力を、本作『 ボン・ヴォヤージュ』でもろに感じた。素敵な衣装で身を包む美貌の女優ヴィヴィアンヌは自分の事しか考えない自己虫だが、脳天気で男から見ると守ってやりたい可愛さなのかも知れない。結果的には男を利用して、名前“Vivi-ane”のごとく、世間を「vivi 生き生き」と渡っているし、愛人のボーフォール大臣は、ドイツ占領下で発足したヴィシー政権で大臣の職にありつけただろうと思われる。因みにボーフォール大臣の“Beaufort”は、ヴィヴィアンヌを惹き付けただけあって、“beau 男前の”、“fort 強い”という意味がある。

 映画内で雨の中ヴィヴィアンヌが官房長官に車で送ってもらって、一度だけ“Bon Voyage ボン・ヴォヤージュ”と言うシーンがある。これがこの映画のタイトルの原点らしいが、その時の台詞は“Merci. Bon Voyage! メルシィ。ボン・ヴォヤージュ。”と何気なく相手に礼をして挨拶を言っているようだが、実はこれからの彼女自身の旅立ちを、自分で密やかに祝って、自分自身にも贈った、彼女の決意を表す言葉なのだ。

 国が侵され、国家の存続が危ぶまれるとき、人々は如何に生きるか?その生き様こそがその人間の価値だろう。女優ヴィヴィアンヌとボーフォール大臣の真剣に生きようとする結果の日和見(ひよりみ)主義と滑稽さも、女学生カミーユとフレデリックのレジスタンス活動も、ラウルのアウトローな生き方も、すべて自分の大切なものを守る生き様なのである。ジャン=ポール・ラプノー監督と撮影のティエリー・アルボガストは、パリ陥落から遽(あわただ)しくボルドーに遷都した36時間の人々の生き様を、ピエール橋を渡っていく夥(おびただ)しいパリジャンの遠景映像で集約して表現する。実際それを経験した人々は胸を締め付けられる思いかも知れないが、映画映像としては計り知れない奥行きがあり、とても美しいシーンだ。私は、フランス人でもなく当時を全く知らないし戦争も体験したこともないし占領下の国に住んだこともないが、なぜか郷愁感に似たものを感じた。

 さて、本作『 ボン・ヴォヤージュ (2003) BON VOYAGE 』の出演者はフランス映画界の錚錚(そうそう)たる俳優陣だ。『 イザベル・アジャーニの惑い (2002) ADOLPHE 』のイザベル・アジャーニ。『 1492・コロンブス (1992) 1492 CONQUEST OF PARADISE 』『 ルビー&カンタン (2003) TAIS-TOI! (原題) / RUBY & QUENTIN (英題) 』『 ヴィドック (2001) VIDOCQ 』のジェラール・ドパルデュー。私は、イザベル・アジャーニとジェラール・ドパルデューの共演の映画は『 カミーユ・クローデル (1988) CAMILLE CLAUDEL 』しか記憶がない。そして、『 8人の女たち (2002) 8 FEMMES (原題) / 8 WOMEN (英題) 』のヴィルジニー・ルドワイヤン。『 女はみんな生きている (2001) CHAOS 』のジャン=マルク・ステレ。『 ジェヴォーダンの獣 (2001) LE PACTE DES LOUPS (原題) / BROTHERHOOD OF THE WOLF (英題) 』のニコラ・ファウデ。アメリカ人俳優だが、映画内でフランス語やドイツ語はとても上手いピーター・コヨーテ(『 ウォーク・トゥ・リメンバー (2002) A WALK TO REMEMBER 』『 ファム・ファタール (2002) FEMME FATALE 』等)。シャルロット・ゲンズブールの夫であるイヴァン・アタル(『 アンド・ゼイ・リブド・ハッピリー・エバー・アフター (原題) (2004) ILS SE MARIERENT ET EURENT BEAUCOUP D'ENFANTS (仏題) / AND THEY LIVED HAPPILY EVER AFTER (英題) 』)。そして本作『 ボン・ヴォヤージュ 』での一番の収穫だったのは、素敵なグレゴリー・デランジェールだ。優しそうで知的な俳優だ。ポスターでも最前列中央にいる。この映画『 ボン・ヴォヤージュ』を観て即ファンメールを出そうと思っているくらいだ。(私って何てミーハーなの!)

ボン・ヴォヤージュ
ボン・ヴォヤージュ (2003)
BON VOYAGE
 映画『 ボン・ヴォヤージュ』は、ドラマチックなラブストーリーでもあるが、パリ陥落を下敷きにした歴史ロマンコメディーとしてコケティッシュに仕上がっているとも言えなくはない。配給元のアスミック・エースさんから頂いたパンフレット(このパンフレットは立派で幸のお宝が増えてウレシイ)によると、

 1940年6月14日
 騒乱のパリから激動のボルドーへ
 時代が変わる 愛がはじまる
 そして、運命が旅立っていく

 豪華スター競演 激動の時代を華麗に描く、壮大なエピックラヴロマン

とドラマティックなキャッチコピーが刷り込まれている。
 因みに、本作『 ボン・ヴォヤージュ』の公開は、<2004年12月、日比谷シャンテシネ、新宿武蔵野館で華やかにロードショー>となっている。

 時代は第二次世界大戦。1939年9月3日にイギリスとフランスがドイツに宣戦して間もない頃だ。フランスの政治家や国民は一年もしないうちにパリが陥落するとは思ってもみなかっただろう。映画『 ボン・ヴォヤージュ』には、アドルフ・ヒトラー Adolf Hitler (『 ダウン・フォール (仮題) (2004) DER UNTERGANG (原題) / THE DOWNFALL (英題) 』参照)やロンメルRommel 将軍やダラディエ Daladier やポール・レノー Paul Raynaud やペタン Pétain やドゴール De Gaulle やチャーチル Churchill など、第二次世界大戦やパリ陥落やレジスタンス運動(『 トリコロールに燃えて (2004) HEAD IN THE CLOUDS 』参照)に関わった当時の実在の有名人は一人も登場しない。1940年6月14日、フランスでは“Le 14 juin ル・カトルズ・ジュアン”という屈辱の日から 36 時間を、ジャン=ポール・ラプノー監督の人生の関わりを通して、映画人としては一度は撮ってみたい娯楽大作として描いている。

 実際に映画『 ボン・ヴォヤージュ』を観ていて、嘗てのヌーベル・ヴァーグに有り勝ちな後味の悪さもなく、観客に問題提起も鼻につく勧善懲悪やお仕着せがましい道徳観もない。観ていて楽しい面白い映画に仕上がっている。戦車や戦闘機の爆撃や銃声や巨大なモンスターであるドイツナチスの優性論によるユダヤ人差別(『 アンナとロッテ (2002) DE TWEELING (原題) / TWIN SISTERS (英題) 』参照)も前面に描かない理由は、監督自身が「個人的な映画」にしたかったからだろう。美しいパリの町、華やかな女優、重厚な画像、エルメス・ランバン・ランセル、ヴァンクリーフ&アーペルの美しい衣装や小道具、クラシックカー、情緒あるボルドーの町並み、ガロンヌ川に架かる美しいピエール橋 (Pont de Pierre ポン・ド・ピエール) 、高級ホテルの様子、臨時議会が開かれる小学校や寝場所がなく野宿している緑の映える公園等など、若い女性だけでなく老若男女すべてが気楽に、時には憧れや微笑みをもって観られる。

 イザベル・アジャーニの女優ヴィヴィアンヌ、ジェラール・ドパルデューの大臣ボーフォール、ヴィルジニー・ルドワイヤンの女学生カミーユ、イヴァン・アタルのごろつきラウル、グレゴリー・デランジェールの作家フレデリック、ピーター・コヨーテの新聞記者ウィンクラー、ジャン=マルク・ステレのコボルスキ教授などの人生が、迫り来るドイツ軍の脅威に晒され、無防備都市宣言のパリを捨ててボルドーへと疎開していく。政治家・フランス上流社会・実業界・芸術家たちが足の踏み場もない、正にフランスが一夜にしてボルドーに集結したとも言える。ホテル・スプレンディッドでの喧騒と常軌を逸した迷走ぶりは、映像のテンポの速さが十分に表現する。

 恋愛・殺人・身代わり・冤罪・疎開・政治・スパイ・裏切り・原爆開発・重水・逃亡・駆け引き・厚顔無恥・幼馴染・ドサクサ・生活力・カーチェイス・銃撃戦、レジスタンス、映画館、別れそして旅立ち。登場人物たちは、ボルドーから更にイギリスやニース、ドイツ人との共生へと、自らの人生を自らの確信を持って選択して、自分たちの運命へと旅立っていく。
 Viva la vie. Bon voyage!(ヴィヴァ・ラ・ヴィ、人生バンザイ、ボン・ヴォヤージュ!)


【 フランス1939-1940年の年表 】
※印の事件には記録映像が添付してあります。ハイライトテキストをクリックすると「教育用画像素材集」映像が見れます。これらの記録映像は情報処理振興事業協会の著作権が保護されていますので、利用規約にしたがって使用させていただいております。
IPA「教育用画像素材集サイト」
1939年
 09月01日 ドイツ軍ポーランドに侵攻
 09月03日 イギリス・フランスがドイツに宣戦
1940年
 03月20日 ダラディエ内閣辞職
 03月21日 ポール・レノー組閣、ダラディエが国防相に
 04月08日 イギリス・フランス両国、ドイツにノルウェーの三海域を機雷封鎖
 04月09日 ドイツがデンマーク、ノルウェーに侵攻
 05月10日 チャーチルがイギリス首相に
 05月10日 ドイツがオランダ、ベルギーに侵攻
 05月14日 オランダ降伏
 05月27日 ベルギー降伏。
 05月27日 イギリス、ダンケルクからの撤退ダイナモ作戦開始。
        6月4日までに30万以上の将兵がイギリス本土へ退却した
 06月03日 300機によるパリ空爆、ドイツ軍900人の死傷者
 06月05日 ドイツがフランス侵攻、ソンム(パリの北方)で総攻撃を開始
 06月06日 ド・ゴール国防次官に
 06月10日 イタリア・ムッソリーニはイギリス、フランスに宣戦布告
 06月10日 フランス政府はパリを去りトゥールへ
 06月10日 トゥールで仏英首脳会談はじまる
 06月13日 パリ無防備都市宣言
 06月14日 ドイツ軍パリ入城、パリ陥落
 06月14日 ドイツ・ロンメル将軍ル・アーヴルを占領
 06月14日 ボルドーに遷都。フランス第3共和制崩壊
 06月14日 ドイツナチスはビィシー政府とのあいだに休戦条約締結
 06月14日 スペイン,パリ陥落に便乗しタンジールを占領
 06月15日 ソ連、バルト3国へ侵攻
 06月16日 ドイツはディジョンまでのシャンパーニュ地方を占領、マジノ線破れる
 06月17日 レノー辞職し、ぺタン内閣発足
 06月18日 ド・ゴール、ロンドンで自由フランス政府の樹立を宣言
        対ドイツ抗戦レジスタンス(非合法抵抗運動)を呼びかける
 06月19日 ドイツ軍によるパリ占領
        1944年8月25日のパリ解放までこの状態が続く。
 06月22日 84歳のぺタン、パリ郊外にあるコンピューニュの森で休戦協定に調印
 06月25日 フランス降伏
 06月28日 イギリスはドゴールの亡命政権を承認
 07月01日 ビィシー政府、ぺダン国家主席に就く。44年まで続く
 08月03日 ソ連、バルト3国併合
 08月10日 「ロンドンバーニング」、ドイツ軍がロンドンに連日空爆
 09月23日 日本の北部フランス領インドシナ進駐
 09月27日 日独伊三国同盟ベルリンで締結成立
 10月07日 ドイツ、ルーマニア侵攻
 10月20日 ハンガリー、日独伊三国同盟に加盟
 10月23日 ルーマニア、日独伊三国同盟に加盟
 10月24日 スロバキア、日独伊三国同盟に加盟

【お断り】以上の年表は幸の勝手な理解で、正確なものではありませんので、このデータからくるいかなる責任も負えませんのでご理解ください。
IPA「教育用画像素材集サイト」 ※参考映像 「教育用画像素材集」
  出典:IPA「教育用画像素材集サイト」 http://www2.edu.ipa.go.jp/gz/
参考資料:「映画の森てんこ森」映画タイトル集
       http://www.coda21.net/eiga_titles/index.htm
      映画『 ボン・ヴォヤージュ』日本語オフィシャルサイト
       http://bonvoyage-cinema.jp/
      映画『 BON VOYAGE』英語オフィシャルサイト
       http://www.sonyclassics.com/bonvoyage/
      IMDb
      allcinema ONLINE
      Nostalgia.com
      CinemaClock.com
      フランス1939-1940年の年表
       http://sigoise.free.fr/histoires/1939-1940.html

Text by Sati
coda21「映画の森てんこ森」幸田幸。
coda_sati@hotmail.com
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