エリザベス
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エリザベス (1998)
ELIZABETH
 映画『 エリザベス (1998) ELIZABETH 』をレヴュー紹介します。

 映画『 エリザベス ELIZABETH 』を以下に目次別に紹介する。
■映画『 エリザベス ELIZABETH 』の解説及びポスター、予告編
 ネタばれをお好みでない方はこの解説をご覧下さい。
■映画『 エリザベス ELIZABETH 』の映画データ
■映画『 エリザベス ELIZABETH 』の俳優について
■映画『 エリザベス ELIZABETH 』のスタッフとキャスト
■映画『 エリザベス ELIZABETH 』の<もっと詳しく>
 <もっと詳しく>は映画『 エリザベス 』の「テキストによる映画の再現」レヴュー(あらすじとネタばれ)です。※ご注意:映画『 エリザベス (1998) ELIZABETH 』の内容やネタばれがお好みでない方は読まないで下さい。
■映画『 エリザベス ELIZABETH 』の結末
■エリザベス一世の調査
■映画『 エリザベス ELIZABETH 』の更新記録

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幸の鑑賞評価: 8つ星 
■映画『 エリザベス (1998) ELIZABETH 』の解説及びポスター、予告編
エリザベス
エリザベス
■映画『 エリザベス ELIZABETH 』の解説

 映画『 エリザベス (1998) ELIZABETH 』では、ケイト・ブランシェットが 16 世紀イギリスの絶対君主エリザベス一世を見事に演じ、1998 年のゴールデン・グローブ賞に輝いた作品。この映画『 エリザベス 』以降の彼女の活躍は言うまでもないだろう。『 エリザベス 』の監督はイギリス領インド(現在はパキスタンとなっている所)生まれのシェカール・カプール。
 映画『 エリザベス 』のキャスティングは、エリザベス一世の恋人ロバート・ダドリーにジョセフ・ファインズ、エリザベスの顧問官である宰相ウィリアム・セシルにリチャード・アッテンボロー、セシルの後を継いで宰相となったフランシス・ウォルシンガムに、ケイト・ブランシェットと同じくオーストラリア出身のジェフリー・ラッシュ、フランスのアンジュー公にヴァンサン・カッセル。これは映画『 エリザベス 』に納得の配役だ。ジョセフ・ファインズとジェフリー・ラッシュは同年のアカデミー賞を競った「恋におちたシェイクスピア」にも出演している。『 エリザベス 』でのジョセフ・ファインズの役どころは、「恋におちた…」と結構似ていると思う。
 映画『 エリザベス 』は歴史的な正確さには欠けるらしいが、エリザベス一世の生き方に感動した。
●スチルはnostalgia.com、予告編はcinemaclock.comより許諾をえて使用しています。
Filmography links and data courtesy of The Internet Movie Database & Nostalgia.com.
Filmography links and data courtesy of CinemaClock Canada Inc.
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■映画『 エリザベス (1998) ELIZABETH 』の映画データ
 上映時間:124分
 製作国:イギリス
 公開情報:ヘラルド
 イギリス初公開年月:1998年10月23日
 日本初公開年月:1999年8月28日
 ジャンル:ドラマ/歴史劇
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◆『 エリザベス (1998) ELIZABETH 』の俳優について映画人(俳優・女優・監督など)のリストへ
 ケイト・ブランシェット Cate Blanchett は、1969年5月14日、オーストラリアのメルボルンで生まれる。現時点(2003年9月3日)で、満 34 歳。本名 Catherine Elise Blanchett キャサリン・エリーズ・ブランシェット。父はテキサス出身のアメリカ人で広告会社の重役だったが、ケイトが 10 歳の時に心臓発作で亡くなった。母はオーストラリア人。脚本家のアンドリュー・アプトン Andrew Apton 氏との間に 2 歳のダシール Dashiell John Upton くん(2001年12月3日イギリスのロンドン生まれ)がいる。コンピュータ業の兄と劇団のデザインをしている妹がいる。

 ケイト・ブランシェットは、メルボルンにあるメトディスト女子大学 Methodist Ladies College (MLC) 時代に演劇部の部長をしていた。NIDA(オーストラリア国立演劇学院 Australia's National Institute of Dramatic Art)に入り、そこで演技を学び、1992年に卒業して一年余りして、舞台の世界で批評家と観客の両方から高い評価を受けた。彼女は、シドニー劇団、カーライル・チャーチル・トップ・ガールズ Caryl Churchill's Top Girls に入って、ティモシー・ダリーの「カフカ・ダンス」 Timothy Daly’s Kafka Dances の花嫁フェリーチェ・バウアー Felice Bauer の役を演じて、1993年にシドニー劇団批評家協会賞で、演技を評価されて史上初の新人賞を獲得した。そして、シドニー劇団でまた、デヴィッド・マメット David Mamet の「Oleanna」でジェフリー・ラッシュの相手役キャロルを演じて、ローズモント最優秀女優賞 the Rosemont Best Actress Award も受賞した。
 その後、彼女は、ABCのテレビのゴールデンアワー・ドラマ『 ハートランド (1994) Heartland 』で共演し、称賛された。1995年、ベルヴォア・ストリート Belvoir Street 劇団の「Hamlet ハムレット」でオフェリア Ophelia の役で最優秀女優演技賞にノミネートされた。その他の出演としては、シドニー劇団の「Sweet Phoebe」のヘレン Helen 役、そして、ベルヴォア・ストリート劇団の「The Tempest」のミランダ Miranda 役、「The Blind Giant is Dancing」のローズ Rose 役が注目を浴びた。
 テレビ出演では、ABC放送の「Bordertown (1995)」のビアンカ Bianca 役、「G.P. (1994)」と人気シリーズ番組「Police Rescue (1994) 警察救助」のジャニー・モリス Janie Morris 役が光っている。

 ケイト・ブランシェットは、『 パラダイス・ロード (1997) PARADISE ROAD 』で映画デビューした。
同じ年の『 オスカーとルシンダ (1997) OSCAR AND LUCINDA 』ではレイフ・ファインズとの共演で初の主役に抜擢され、批評家から高い評価を受ける。そして翌 98 年、シェカール・カプール監督の 『 エリザベス (1998) ELIZABETH 』 の主役でヴァージン・クイーンの強烈なインパクトを与えた演技が絶賛され、1998年ゴールデン・グローブ賞の女優賞(ドラマ)をはじめ 世界の映画賞で堂々 16 部門に受賞した。アカデミー賞でも主演女優賞にノミネートされたが、惜しくも『 恋におちたシェイクスピア (1998) SHAKESPEARE IN LOVE 』のグウィネス・パルトローに攫われた。ケイト・ブランシェットは、本作を機に映画界でも一躍トップ・スターに躍り出た。

 その後は、その確かな演技力を活かし『 理想の結婚 (1999) AN IDEAL HUSBAND 』 『 狂っちゃいないぜ (1999) PUSHING TIN 』 『 リプリー (1999) THE TALENTED MR. RIPLEY 』『 耳に残るは君の歌声 (2000) THE MAN WHO CRIED 』『 ギフト (2000) THE GIFT 』など幅広い役柄をこなし、着実に大女優としての評価を得てくる。

 ケイト・ブランシェットの2001年は、超多忙だ。『 シャーロット・グレイ (2001) CHARLOTTE GRAY 』『 シッピング・ニュース (2001) THE SHIPPING NEWS 』『 バンディッツ (2001) BANDITS 』などに出演、理知的な美貌と底知れない演技の深さで観る者を魅了する。そしてピーター・ジャクソン監督のファンタジー超大作『 ロード・オブ・ザ・リング (2001) THE LORD OF THE RINGS: THE FELLOWSHIP OF THE RING <前編>』『 ロード・オブ・ザ・リング (2001) THE LORD OF THE RINGS: THE FELLOWSHIP OF THE RING <後編>』で、エルフ族の王妃ガラドリエルを演じる。あまり出番は多くないが彼女の存在は大きい。『 ロード・オブ・ザ・リング/二つの塔 (2002) THE LORD OF THE RINGS: THE TWO TOWERS 』『 ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還 (2003) THE LORD OF THE RINGS: THE RETURN OF THE KING 』 の三部作全てに出演している。
 2002年には他に、『 ヘヴン (2002) HEAVEN 』がある。そして最近では、『 ヴェロニカ・ゲリン (2003) VERONICA GUERIN 』『 コーヒー&シガレッツ (2003) COFFEE AND CIGARETTES 』『 ミッシング (2003) THE MISSING 』『 アビエイター (2004) THE AVIATOR 』が話題になっている。

 ケイト・ブランシェットは本当に魅力的な才能溢れる女優さんだ。彼女は、身長 5 フィート 8 と 2 分の 1 インチ(1.74m)。中背である。1999 年にはピープル誌が選ぶ「もっとも美しい50人」にも選ばれた。
※以下のデータは、CinemaClock.com の許諾を得て引用しています。
Cate Blanchett
ケイト・ブランシェット
Birth Name:  Catherine Blanchett
 
Age:  34 years
Date of Birth:  May 14, 1969
Place of Birth: 

Melbourne, Australia

 
Films:  Lord of the Rings: The Return of the King (2003)
Veronica Guerin (2003)
The Lord of the Rings: The Two Towers (2002)
Heaven (2002)
The Lord Of The Rings: The Fellowship Of The Ring (2001)
Bandits (2001)
The Man Who Cried (2001)
Charlotte Gray (2001)
The Gift (2001)
The Shipping News (2001)
The Talented Mr. Ripley (1999)
An Ideal Husband (1999)
Pushing Tin (1999)
Elizabeth (1998)

= movie playing in theatres this week


Starring in "The Gift"
c Copyright Paramount Pictures


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【『 エリザベス 』のスタッフとキャスト】
監督: シェカール・カプール Shekhar Kapur
製作: アリソン・オーウェン Alison Owen
    エリック・フェルナー Eric Fellner
    ティム・ビーヴァン Tim Bevan
脚本: マイケル・ハースト Michael Hirst
撮影: レミ・アデファラシン Remi Adefarasin
音楽: デヴィッド・ハーシュフェルダー David Hirschfelder

出演: ケイト・ブランシェット Cate Blanchett エリザベス一世
    ジョセフ・ファインズ Joseph Fiennes ロバート・ダドリー卿
    ジェフリー・ラッシュ Geoffrey Rush フランシス・ウォルシンガム卿
    クリストファー・エクルストン Christopher Eccleston ノーフォーク公爵
    リチャード・アッテンボロー Richard Attenborough ウィリアム・セシル卿 
    ファニー・アルダン Fanny Ardant メアリー・ド・ギーズ
    キャシー・バーク Kathy Burke メアリー一世
    エリック・カントナ Eric Cantona フランス大使ド・フォア
    ジェームズ・フレイン James Frain スペイン大使アルヴァロ
    ヴァンサン・カッセル Vincent Cassel アンジュー公
    ジョン・ギールグッド John Gielgud ローマ法王ピウス五世
    ダニエル・クレイグ Daniel Craig ジョン・バラード

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ストーリー展開の前知識やネタばれがお好みでない方は、読まないで下さい。
■映画『 エリザベス (1998) ELIZABETH 』の「テキストによる映画の再現」レヴュー

【エリザベス 第01段落】  新教と旧教が対立激しいイングランド。旧教徒であったメアリー一世(キャシー・バーク)の治世下では、異教徒である新教徒は迫害を受けていた。 1554 年、トマス・ワイアットの反乱が起こる。新教徒であるエリザベス(ケイト・ブランシェット)を王位に就かそうと企てられた反乱であったが、映画の冒頭、反乱の首謀者と思しき三人の新教徒が公開で火あぶりの刑に処せられる。ワイアット卿と共謀していたと疑われたエリザベスは、ロンドン塔に幽閉される。当時エリザベスは、ロバート・ダドリー卿(ジョセフ・ファインズ)との恋に心ときめかせている、まだ乙女の雰囲気を少し残した 21 歳であった。

【エリザベス 第02段落】  ここで、ちょっと気になる俳優ジョセフ・ファインズ Joseph Fiennes について書く。
 兄のレイフ・ファインズと同様、印象的な茶色の瞳に暗く魅力的な顔立ちのジョセフ・ファインズは、世界中の女性を虜にするイギリス人だ。因みに、私はどちらかというとお兄さんの方が好きであるが。ジョセフは 1970 年 5 月 27 日にイングランドはソールズベリーで生まれ、6人兄弟の末っ子で、双子の兄弟の一人である。双子のもう一人はジェイコブといい、レイフは兄弟の一番上である。父は写真家、母はペンネームがジェニファー・ラッシュという小説家であった。ジョセフとその兄弟達は、子供時代に 14 回の引越しを経験するなど、未来の俳優はかなりの放浪の中でしつけをされたようだ。彼らの両親には強い芸術的な傾向があり、子供達の中にもそういった何かがあった。ジョセフはとてもクリエイティヴな雰囲気の中で育ったのだ。芸術学校を去った後、色々な舞台を経験する。彼の映画デビュー作はベルナルド・ベルトリッチ監督の「魅せられて」( 1996 )。この映画はビデオで観たけど、たしか主人公のリブ・タイラーが滞在した家の息子の役だったかな?と、あまり覚えていないくらいの小さな役だ。数年間兄の影のような存在だったが、 1998 年の大ヒット映画である本作と「恋におちたシェイクスピア」で演じた役柄のお陰で、業界の最もホットな人材の一人となる。チューダー朝のタイツが最も似合う俳優だわね。彼の作品には、あと
恋におちたシェイクスピア (1998) SHAKESPEARE IN LOVE
スターリングラード (2000) ENEMY AT THE GATES
レオポルド・ブルームへの手紙 (2002) LEOPOLD BLOOM / LEO
シンドバッド 7つの海の伝説 (2003) SINBAD: LEGEND OF THE SEVEN SEAS 』等がある。

【エリザベス 第03段落】  エリザベスを敵視する旧教徒側には、彼女を私生児呼ばわりする異母姉のメアリー一世、王位を虎視眈々と狙う権力者ノーフォーク公爵(クリストファー・エクルストン)などの国内の有力者達、そしてイングランドの支配権を手に入れたいメアリー一世の夫であるスペイン王フェリペ二世といった国外の勢力があった。フェリペ二世は、イングランド女王と結婚しているといっても、一緒にイングランドで過ごすことはあまりないようで、スペイン大使のアルヴァロ(ジェームズ・フレイン)をイングランド王室に留まらせていた。

【エリザベス 第04段落】  尋問を受けたあと、エリザベスはロンドン塔の冷たい石の牢獄に入れられる。旧教徒側のアルンデルの差し出したマントを、エリザベスは一度断るが、彼女を慮った彼の紳士的な言葉に「あなたの親切は忘れません」と受け取る。

【エリザベス 第05段落】  処刑執行の日を恐れて暮らすエリザベスは、ある日メアリー一世のもとに連れてこられた。懐妊だと思って喜んでいた兆しが、実は腫瘍であったことに、メアリー一世はショック状態である。現女王である自分がエリザベス処刑の書類にサインをしなければ、自分の死後にエリザベスは王位を継承することになる。メアリー一世はエリザベスにイングランドを現宗教体制のままにしておくように頼む。しかし、新教を信仰するエリザベスの返答は、女王の意向に沿うものではなかった。エリザベスは女王を怒らせるが、死に怯えるメアリー一世は神の怒りを恐れたのか、死ぬまで実の妹エリザベスの処刑を命じることはなかった。

【エリザベス 第06段落】  息絶えたメアリー一世の手から抜き取られた王の証である指輪が、エリザベスの許へ届けられた。 1558 年、エリザベスは王位を手にする。しかし、エリザベスが即位した頃のイングランドは、スペイン、フランスといった大国からの侵略の脅威にさらされている上に、国内の宗教対立、そして国の財政状態は火の車…と、問題だらけ。若干 25 歳の若い女王は、この危機をどう乗り切っていくのだろうか。

【エリザベス 第07段落】  ロバートと熱い夜を過ごした翌朝、ノーフォーク公爵にいきなり起こされ、エリザベスは寝起き顔でスコットランド派兵の是非を決定する閣僚会議に出席。フランスの息がかかっているスコットランドが政権基盤の安定しないイングランドに対し、兵力を増強してきたのだ。会議では、新教徒の女王はすぐに退位すると思っている閣僚が殆どを占める中、エリザベスの味方は即位前から彼女を支持するウィリアム卿(リチャード・アッテンボロー)、今はまだ閣僚ではなく女王の警護に当たっているウォルシンガム卿(ジェフリー・ラッシュ:
フリーダ (2002) FRIDA
バンガー・シスターズ (2002) THE BANGER SISTERS
ファインディング・ニモ (2003) FINDING NEMO
パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち (2003) PIRATES OF THE CARIBBEAN: THE CURSE OF THE BLACK PEARL
ディボース・ショウ (2003) INTOLERABLE CRUELTY
ライフ・イズ・コメディ! ピーター・セラーズの愛し方 (2004) THE LIFE AND DEATH OF PETER SELLERS 』)、そしてエリザベスの即位で出世した官僚のロバートしかいない。政権安定のために早く結婚して世継ぎを生めだの、女王の体調管理のためにベッドのシーツを見せるように言うだの、ウィリアム卿は映画では日本の時代劇に出てくるお姫様おつきのジイのようである。美青年を子飼いにして、ホモかしらと思わせるウォルシンガム卿は、頭が切れる上に、目的のためには冷徹な判断もくだすことができるといった人物。彼は新教徒の迫害のためフランスに追放されていたが、新女王の誕生でイングランドに戻ってきたのだった。

【エリザベス 第08段落】  若輩のエリザベスは一存で国政を決定することができず、意見を求める。彼女もこの時点ではまだ女性ということで、愛するロバートを心の拠り所にしており、不安な時は思わずロバートに視線を送ってしまう。ノーフォーク公爵を筆頭に閣僚たちはスコットランド出兵を望んでいるが、ウォルシンガムはただ一人反対。戦争を嫌うエリザベスはウォルシンガムの意見を採り入れようとするが、ウィリアム卿がウォルシンガムに閣僚でないものが口を挟むなと怒ったため、派兵が決定する。

【エリザベス 第09段落】  スコットランドとの戦いは、エリザベスにとって最悪だった。スコットランドの政権を握る、フランス貴族出身のメアリー・ド・ギーズ(ファニー・アルダン)にしてやられたからだ。「メアリーと戦うのに子供を差し向けるな」と戦争に参加させられていたイングランドの少年と彼の血の付いたフランス国旗がスコットランドから送られてきたのだ。そして和睦の証として、エリザベスがメアリーの甥であるアンジュー公フランソワ(ヴァンサン・カッセル:
ジャンヌ・ダルク (1999) JOAN OF ARC / THE MESSENGER: THE STORY OF JOAN OF ARC
クリムゾン・リバー (2000) THE CRIMSON RIVERS / LES RIVIERES POURPRES
ジェヴォーダンの獣 (2001) LE PACTE DES LOUPS (原題) / BROTHERHOOD OF THE WOLF (英題)
シュレック (2001) SHREK
リード・マイ・リップス (2001) SUR MES LEVRES (原題) / READ MY LIPS (英題)
ブルーベリー (原題) (2004) BLUEBERRY
スパイ・バウンド (2004) AGENTS SECRETS (原題) / SECRET AGENTS / SPY BOUND
オーシャンズ12 (2004) OCEAN'S TWELVE 』)と結婚することを提案してきた。

【エリザベス 第10段落】  次の難関は、英国議会である。議会を前にして、スピーチの練習をする若きエリザベスはチャーミングだ。議員達のイジワルな質問を、ウィットのきいた返答でうまく切り抜け、礼拝や祈祷書の統一させる法案を可決させる。エリザベスにとって四面楚歌状態の英国議会で彼女の意志が通ったのは、法案の是非をめぐる投票の間、ウォルシンガムが旧教の司祭を別部屋に閉じ込めておいたからである。

【エリザベス 第11段落】  エリザベスに求婚するためにイングランドにやってきたアンジュー公は、下ネタ連発の変な奴だが、大国フランスの意向を無碍に断ることもできない。エリザベスは、メアリー一世の夫であったスペインのフェリペ二世からも求婚されている。フランスを取るかスペインを取るか。それにエリザベスが愛しているのは、ロバートである。フランス大使ド・フォア(エリック・カントナ)になかなか結婚の返事をしないエリザベスに、大国との縁談で王位の安定を図ろうと考えるウィリアム卿は、ロバートの秘密を明かす。実はロバートはすでに結婚していたのだ。女王として、女としてのプライドを傷つけられたエリザベスは、大ショック。こうなったらバカ殿アンジュー公との結婚も真剣に考えてみようかなと、エリザベスは愛の証の指輪を携えてアンジュー公の部屋へと行ってみる。エリザベスの宴を胃が痛むと欠席しているアンジュー公なのに、彼の部屋では乱痴気騒ぎが行われていた。その上、当のご本人はなんと女装をしているではないか!唖然とするエリザベスだが、しめしめこれでお断りの口実ができた。それにしてもアハハハハ!

【エリザベス 第12段落】  しかし、女装趣味があったり、妻帯者だったり、エリザベスに求婚する男達はとんでもない。気位の高い女王は気分が晴れない。エリザベスは引き続く宴の中で、ロバートとヴォルタを踊る。以前は息がピッタリあっていたエリザベスとロバートのヴォルタだったが、二人の気持ちを表しているのか今は全然リズムに乗れない。エリザベスは「私には男妾が一人、夫は持たない」と言い捨てて部屋から出て行く。

【エリザベス 第13段落】  不穏な動きが次々とエリザベスを襲う。 1570 年、ヴァチカンのローマ法王ピウス5世がエリザベスの王権を否認し、彼女の暗殺を指示する。そして、その勅書を持たせた僧侶をイングランドに送り込んできた。その僧侶をイングランドの海岸で待ち受けるのは、ノーフォーク公爵である。僧侶は到着するとすぐに、ノーフォーク公爵のお付きの青年トマス・エリオットを岩でぶん殴って殺害する。その青年はウォルシンガムのスパイだったからだ。ノーフォークはエリザベス打倒を狙って、色々な旧教徒勢力と裏工作しているようだった。スペインの目を盗んで、フランス側のスコットランドとの間にもなにやら動きがあるようである。エリザベスは城の中でヴァチカンの僧侶に襲われそうになったり、エリザベスに送られたフランス絹のドレスに毒が塗られ、そのドレスを着た侍女が死んだりと、身辺の危険も急激に高まった。

【エリザベス 第14段落】  エリザベスサイドのウォルシンガムも負けてはいない。メアリー・ド・ギーズからスコットランドの城に招かれたウォルシンガムは、うまく彼女を誘惑する。その翌朝、ベッド上には全裸のメアリーの死体があり、もちろんウォルシンガムの姿はなかった。アンジュー公はメアリーの死体を見て、「エリザベスは魔女だ」と嘆き哀しむ。

【エリザベス 第15段落】  エリザベスへの報われない愛情に憔悴したロバートは、スペイン大使アルヴァロにそそのかされ、エリザベスにスペイン王との結婚を進言する。しかし、エリザベスはロバートから精神的に自立するようになっていた。エリザベスへの愛を語るロバートを冷たく退ける。即位当初はウィリアム卿が主にエリザベスのアドバイザーであったが、彼女が女王として成長していくにつれ、その役割はウォルシンガムへと移っていく。ウィリアム卿に従っていれば、イングランドはいつまでもスペインとフランスの属国だと理解したエリザベスは、これからは自分の判断で国政を担うと本人に伝える。女のエリザベスの采配を心配するウィリアム卿に、エリザベスは自分は男の心を持つ女だと言い、彼にバーリー卿の名を与え、引退させる。

【エリザベス 第16段落】  エリザベスは、法王の勅書を盾に謀反を企んでいるノーフォークの裏を掴むため、ウォルシンガムにヴァチカンからの僧侶と彼を匿う者を捕らえるように命令する。ウォルシンガムはアルンデルの屋敷で僧侶を発見、誰に法王の勅書を渡すように言われたのか吐かすため僧侶を拷問にかける。ウォルシンガムは僧侶の口から出た名前をエリザベスに伝える。その中にはロバートの名も含まれていた。ショックを隠せないエリザベスに、ウォルシンガムは、僧侶の所持品から見つけた、法王からノーフォーク宛に書かれた書簡を見せる。それにはノーフォークにスコットランドの女王メアリー・スチュアート(メアリー・ド・ギーズの娘)と結婚し、エリザベスを追放するように書かれていた。この書簡にノーフォークがサインをすれば、謀反は成立し、ノーフォークを捕らえることができる。

【エリザベス 第17段落】  法王からの書簡を受け取ったノーフォークは迷わずサインする。その姿を見守るノーフォークの愛人である侍女の表情は複雑である。今までノーフォークに王室の情報を流していた侍女だが、その時はすでにウォルシンガムの手先でもあった。これはノーフォークが自分を裏切るかどうかという、その侍女の賭けでもあったと思う。もしノーフォークが自分への愛を貫いてくれれば、スコットランド女王との結婚を拒むだろう。そうなればノーフォークはウォルシンガムに捕らえられることはない。逆にサインをすれば、自分を裏切ったノーフォークは死ぬ。女ってコワイなー。

【エリザベス 第18段落】  ノーフォークの署名入り書簡を手に入れたウォルシンガムは、その夜、陰謀を企んだ者たちを次々と殺害して行った。エリザベスは、ロンドン塔に捕らえられた、謀反人の一人であるアルンデルを訪れ、嘗て自分にマントを貸してくれた彼に「あなたの親切は忘れません」と、彼の子供たちの身を保障する。それからエリザベスはロバートを訪ねる。なぜ自分に謀反を働いたのか尋ねるエリザベスに、すっかりやつれたロバートは「女王に愛されることは易しいことではない。男の心を腐らせる」と答える。ロバートは死を望んでいるようだが、エリザベスは「危険はいつも身近にある」という自分の戒めとして生かしておくことにする。・・・

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◆ここからは、結末まで書いていますので、ストーリー全体が分ります。御注意下さい。
 ATTN: This review reveals the movie content. Please don't say that I didn't say !


【エリザベス 第19段落】  イングランドの敵−国内の対立勢力は始末された。教会のマリア像の前で、ウォルシンガムと話をする内に、これからイングランドの女王として自分が進むべき道を知ったエリザベスは、その過酷さに頭を抱える。人々が崇めるように、何事にも心を動かさず、この世で聖母マリアのような神聖なものにならなければならない。それが絶対君主なのだ。

【エリザベス 第20段落】  涙を流しながらエリザベスの髪を切る侍女のカット。その横では別の侍女が白いどうらんを作っている。とても短い髪になったエリザベスは鏡に映った自分を見て呟く。「カット、私は処女になったわ。」聖母マリアに対して、人が命を捧げるほどの信仰を持つのは処女だからということなのだろう。それでエリザベスも人心を捉える「処女王( The Virgin Queen )」となったのだ。

【エリザベス 第21段落】  真っ白いドレスに、真っ白い化粧で、豪華絢爛に現われたエリザベスに、宮廷の人々は自ずと跪く。エリザベスはバーリー卿に手を差し出して告げる。「… I am married to England. (わたしはイングランドと結婚しました。)」

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エリザベス一世の調査

 さぁ、映画をより理解するために、エリザベス一世を調べてみることにした。エリザベス二世戴冠五十周年記念の企画というわけではないが。彼女を知るために、まずは父親と母親からいってみよう!

【エリザベス一世の調査 第01段落】
ヘンリー8世(在位 1509-1547 )
 エリザベスの父ヘンリー8世は、 1509 年に彼がイングランド王となるとすぐに、自分の兄弟の未亡人であったキャサリン・オブ・アラゴン(メアリー一世の母)と結婚する。彼の最初の宰相、T. ウルジーは、 1515 〜 1527 年の間、国政をほとんど完全に動かしていた。 1527 年に、ヘンリーは侍女のアン・ブーリンと結婚するためにキャサリンとの離婚を求めたが、法王クレメンス7世は結婚の解消を否定した。アンは子供時代を一部フランスで過ごした後、ヘンリー8世の宮廷につかえ、王を愛するようになった女性だ。彼女は最初の妻から王を奪うために、こっそりと行動に出る。ウルジーはヘンリーを救うことができなかったために、職を追われた。新しい宰相のT.クロムウェルは、 1532 年に英国国教会がローマからの離脱を決定した時に、革命に始め、 1533 年にヘンリーにアンとの結婚を許した。新しい大主教、T. クランマーは最初の結婚の解消を宣言した。アンとの間に、すぐに娘のエリザベスが生まれた。

【エリザベス一世の調査 第02段落】  英国国教会の長となったことは、ヘンリーの主な業績であるが、広範囲の結末をもたらした。ヘンリーは嘗てローマ法王の権威に深い忠誠心を持ち、 Defender of the Faith (信仰擁護者)の称号を受けていたが、破門され、新しく独立した教会というものを据えなければならなくなった。 1530 年代には、特に王への僧院の富の移転と新しい聖職者への税によって、彼の権力は非常に拡大した。しかし、学識のある男という彼の当初の評判は、血の男という不変の名声にかき消されてしまった。新しい命令に背いたものが多く殺された。

【エリザベス一世の調査 第03段落】  男の子を産まなかったアンへの興味が薄れ、王は 1536 年に彼女を姦淫の罪で処刑した。ヘンリーはすぐに3人目の妻ジェーン・シーモアと結婚し、エドワード6世をもうけるが、彼は幼いうちになくなってしまう。三年後、クロムウェルにそそのかされ、王はアン・オフ・クレーヴズと4回目の結婚するが、彼は彼女を憎み、素早く離婚を要求する。そして 1540 年にクロムウェルを打ち首にした。

 【エリザベス一世の調査 第04段落】  ヘンリーは途方もなく太って不健康になるばかりでなく、だんだん誇大妄想狂になっていく。 1540 年、5人目の花嫁となるキャサリン・ハワードと結婚するが、 1542 年、アン・ブーリンの従姉妹である彼女も姦通で打ち首になる。1542年に王はスコットランドと戦争を行い、財政難に陥る。 1543 年、彼より長生きした最後の妻、6人目のキャサリン・パーと結婚する。ヘンリー8世の死で、彼の息子であるエドワードに王位が引き継がれた。

【エリザベス一世の調査 第05段落】
ELIZABETH I (在位 1558-1603)
エリザベス一世
 チューダー王家最後の君主であるエリザベス一世は、 1533 年9月グリニッチで生まれた。彼女はヘンリー8世と王の2人目の妻アン・ブーリンの娘である。エリザベスの幼い頃は不穏な状態が続き、異母弟のエドワードが 1537 年に生まれるやいなや、彼女の王位継承の可能性は殆どなくなったかのようだった。ローマ・カトリック教徒である異母姉のメアリー王女に次いで、エリザベスの王位継承権は第三位であった。確かにローマ・カトリック教徒は、プロテスタントのエリザベスを異端だとみなしていたが、1554 年にメアリー一世に対する反乱(トマス・ワイアットの乱)が失敗した直後は、彼女は辛うじて処刑を免れた。イングランドにカトリックを復興させたメアリー一世は、映画でもエリザベスを憎んでいたが、それも当然かなと思う。メアリー一世は、プロテスタントであった父ヘンリー8世が母と離婚し、新しい妻アン・ブーリン(それも侍女)を迎えたことで、嫡出でないことを宣言された。「ブラッディー・マリー」というニックネームが付けられるほど、激しく新教徒を迫害したのも、そんな苦い思い出があるからかもしれない。

【エリザベス一世の調査 第06段落】  1558 年 11 月、エリザベスは異母姉メアリー一世の死亡で王位を継承した。彼女はとても教養が高く(6ヶ国語に堪能であった)、両親から知性、決断力そして抜け目のなさを受け継いでいた。彼女の 45 年の治世は、イギリスの歴史において最も輝かしい時代の一つだと一般的に考えられている。その間に英国国教会が確立され、ローマ・カトリック教と新教との中道化路線を表明した 1563 年の三十九ヵ条で、その教義が制定された。エリザベス自身は「 make windows into men's souls つまり、唯一の神が存在し、その残り全てはつまらない事の論争である」ということを拒絶した。彼女は表面的な画一性を求めていた。国民の殆どがその信仰の基本として英国国教会の中道化を受け入れた。彼女の教会との和解は、 16 世紀の後半にフランスを悩ませたような宗教戦争から、イングランドを救っただろうと思われる。

【エリザベス一世の調査 第07段落】  宗教問題の解決について、映画では 1559 年の「 The Acts of Supremacy and Uniformity 」が英国議会で可決されるシーンがある。この法案で、教会の統制が君主体制に返還され、穏健派たちの賛成した改訂が付けられた二番目の祈祷書が採用されることになった。 the Eucharistの儀式を聖体拝領(旧教)とも聖餐式(新教)ともとれるままにし、カトリック教会の装飾は再び取り付けられた。日曜日に教会へ行くことは強制され、「 recusants 」と呼ばれた出席できなかった人々は、欠席ごとに1シリングの罰金を支払うことになった。これらの法律を支持するために誓いが立てられ、そうすることを拒んだ主教はその地位を剥奪されたそうだ。

【エリザベス一世の調査 第08段落】  独裁的で気まぐれであったけれども、エリザベスは抜け目のない政治的判断をもち、大臣達をうまく選んだ。国務長官のバーリー(ウィリアム・セシル)、大法官(最高の司法官;閣僚で上院議長)のハットン、諜報機関と国務長官担当のウォルシンガムといった面々である。概して、エリザベスの政権は、国の役所を切り盛りする役人と、国王の領地(行政費用を助成していた)を扱う役人、それぞれ約 600 人で構成されていた。地方レベルにおいて、州長官の支配下に残されていた社会的経済的法規と治安は、無報酬の治安判事によって支えられていた。

【エリザベス一世の調査 第09段落】  映画の中では、ウィリアム・セシルはエリザベスよりずっとおじいさんのような感じだったが、実際彼は1520年 9 月 13 日生まれで、エリザベスとは 13 歳しか違わない。それに彼はエリザベスの即位から自身が亡くなる 1598 年まで 40 年間彼女に仕えているので、映画のように引退させられていないと思うのだけど。それにフランシス・ウォルシンガム( 1530-1590 )がセシルから引き継いで国務長官となったのは、 1573 年のことである。映画ではストーリーの構成上、ウィリアム・セシルは古い感覚の政治家のように描かれていたが、本当の彼はもっと時代感覚に優れた敏腕政治家だったように思う。

【エリザベス一世の調査 第10段落】  また、現在の MI6 まで繋がるイギリス外交の根幹をなす情報活動を行っていたウォルシンガムは、映画ではとても怪しげな人物のように描かれている。熱心なプロテスタントだった彼は実際、もっとストイックな人だったのではと想像する。ウォルシンガムは国家の奉仕活動に私財を費やしたため、1590 年に貧しく亡くなった。そうしたことで殆ど報酬は受け取らなかったそうだ。1588 年、わずか 1500 名の守備隊しか持たないイギリスが 130 の艦隊と3万の兵員を持つスペインの無敵艦隊を撃退したのは、彼の冷静な分析が徹底された情報のお蔭でもある。その閣議文書を読むと、一種の迫力を感じるそうだ。ウォルシンガムの方が年長のセシルより8年も早く亡くなったのは、スペインのアルマーダの来襲でウォルシンガムが神経をすり減らしたせいかもしれない。映画ではセシルとの間にあまり交流がないようだったが、事実ウォルシンガムは大陸に張り巡らした情報網から得た情報をセシルに伝えていたそうだ。

【エリザベス一世の調査 第11段落】  映画が事実と違うところは、ロバート・ダドリーに関してもあるが、2時間という短い時間でストーリー性を失わずに簡潔に歴史を表さなければならないのだから仕方のないことだろう。映画ではエリザベスはロバートの結婚を知らなかったが、実際は 1549 年の彼とその妻エイミー・ Robsart の結婚式にも出席しているそうだ。 1553 年のエドワード6世の死でロバートの父ジョン・ダドリーは王妃であった義理の娘ジェーン・グレイのために王位を奪おうとしたため、ロバートは兄弟達と共にロンドン塔の the Beauchamp Tower (ここには身分の高い人が入れられたようだ)に入獄される。ワイアットの反乱( 1554 )で the Bell Tower に幽閉されていたエリザベスとこの時逢瀬を重ね、友情から愛情が芽生えたという伝説があるらしいが、厳重な警備の中そんなことはありえないだろう。メアリー一世の治世の間、財政に苦しむエリザベスを、土地を売って支援したというロバートは、エリザベスの即位後、 Master of the Queen's horse という高位の官職につき、女王の寵愛もあって出世する( 1564 年にはレスター伯の称号を得る)。そんなロバートに対して、周囲のやっかみはあったようだ。 1560 年、妻エイミーの謎の死は、ロバートの評判をさらに悪くした。1561年にスペイン王フェリペ二世に対して、自分とエリザベスの結婚を支持する見返りとして、イングランドにカトリックを復権させるという提案をする。しかし、そんなロバートへのエリザベスの個人的な感情は変わらなかった。 1588 年 7 月21日に始まり 30 日に終わったスペイン無敵艦隊の来襲の時に、彼は軍隊の総司令官に任命される。このときすでに胃癌に冒されていただろうロバートは、同年9月4日に亡くなった。彼の死を哀しんだ女王は、彼から最後に送られてきた手紙をずっと宝物にしていたそうだ。

【エリザベス一世の調査 第12段落】  エリザベスの治世にはまた、フランシス・ドレーク、ウォルター・ローリー、ハンフリー・ギルバートによる、特に南北アメリカへの多くの勇敢な航海上の発見があった。これらの探検旅行のお陰で、イングランドの植民地開拓と貿易拡大の時代に備えることになり、エリザベス自身は 1600 年に東インド会社を設立した。

【エリザベス一世の調査 第13段落】 エリザベスの治世の間には、芸術が栄えた。 Longleat (維持管理努力の一環として、サファリ・パークや巨大迷路などがある。結婚式だって挙げられるみたい)やハードウィック・ホール(ナショナル・トラストの保護資産)のような地方屋敷が建設され、細密画は頂点を極めた。また、劇場は繁盛し、エリザベス女王はシェイクスピアの「真夏の夜の夢」の初演を観劇した。女王の観劇好きは、「恋におちたシェイクスピア」( 1998 )でも描かれている。映画「エリザベス」では、エリザベスがヴォルタというルネサンス舞踏をロバートと踊るシーンがある。ヴォルタは 16 世紀初めに農民の踊りとしてイタリアから広がり、スイス、フランス、そしてドイツにまで伝わった。ヴォルタという名前は「回転」を意味している。 1556 年、イタリアン・ヴォルタは Sault 伯爵がパリの宮廷に初めて紹介したそうだ。それから 1581 年ごろ、カトリーヌ・ド・メディシス( 1518-1589 )がヴェルサイユ宮殿にヴォルタを広めた。他の円舞と交じり合ってできたヴォルタは、ワルツの始まりだとか、ワルツの先駆けと言われている。飛び跳ねたり、リフトがあったりと、それまでの時代のダンスよりも快活なダンスであるヴォルタは、エリザベスのお気に入りダンスの一つだったようだ。

【エリザベス一世の調査 第14段落】  勝利と成功がエリザベスの治世の全体的な印象である。女王自身は「 Gloriana (グローリアーナ)」「 Good Queen Bess (良い女王ベス) 」「 The Virgin Queen (処女王) 」と呼ばれた。高価な衣装や宝石を身につけ(同時代の君主のようにそれらしく振舞うため)、「 progresses (巡幸) 」として知られる地方訪問で、女王はこの印象を国中に植え付けていった。彼女は馬車よりはむしろ乗馬でよく周遊したそうだ。エリザベスは自身の治世の間に少なくとも 25 回の progresses を行っている。

【エリザベス一世の調査 第15段落】  しかし、エリザベスの治世は、スペインからアイルランド、及びフランスからスコットランドによる数多くの侵略の脅威にさらされた時代の一つであり、かなりの危険と困難があった。 1569 年〜 70 年、北イングランドの大部分は反乱状態であった。特に 1570 年、ローマ教皇の教書のために、エリザベスから臣民の忠誠が離れてしまった。エリザベスの命を狙った陰謀が明るみになった後、彼女はローマ・カトリック教徒に対して厳しい法を可決した。映画では 1554 年からこの辺りまでのエリザベスが描かれている。スコットランドの女王、メアリー・スチュアート(映画に出てくるメアリー・ド・ギーズの娘)が絡んだ陰謀もあった。メアリー・スチュアートは 1568 年に彼女の二人目の夫を殺害し、その殺害に関与したと信じられている男性と結婚したあと、イングランドへと逃れた。有望なエリザベスの後継者であるが、メアリーはエリザベスの囚人として 19 年を過ごした。なぜならメアリーは、 1586 年のバビントンの陰謀ような反乱や暗殺を起こそうと意識を集中させていたからだ。メアリーはまた、潜在的な侵略者であるスペインのフェリペ二世を誘惑していた。 1586 年の手紙の中で、エリザベスはこう書いている。「私の命を奪い、私の王国を崩壊させようと、あなたは画策しました。私は決してあなたを厳しく訴えはしません。」エリザベスが思い切った行動を嫌がったのにも拘わらず、国会と彼女の顧問達の主張で、メアリー・スチュアートは裁判にかけられ、有罪となり、 1587 年に処刑された。

【エリザベス一世の調査 第16段落】   1588 年、悪天候の助けもあって、イギリス海軍はアルマーダという約 130 隻のスペイン艦隊の侵略に対し、大勝利を収めた。フェリペ二世はメアリー一世との結婚を通してイングランドの王位を要求する権利があると信じていたので、アルマーダの征服によりエリザベスの打倒とローマ・カトリック教の再建を行うつもりだった。

【エリザベス一世の調査 第17段落】 エリザベスの長い治世の間、 1590 年代の特に田園地方では、国家はまた物価の高騰と厳しい経済不況に苦しんだ。アルマーダを打ち負かした後、スペインとの戦争はあまり上手くいかず、他の一連の軍事行動と共に多くの犠牲を払った。エリザベスは行政支出の引き締めを行ったが、後世に大きな負債を残すことになった。エリザベスの治世下に起きた戦争には、 500 万ポンド(当時の金額)以上という王の歳入を上回る金額がかかった。例えば 1588 年のエリザベスの年間歳入合計は 39 万 2000 ポンドである。財政の緊縮と 1588 年以降の長期化する戦争が同時に進行していたにも拘らず、英国議会はそんなに頻繁に召集されなかった。エリザベスの治世には下院はたった 16 回しか開会されなかった。そのうちの5回は 1588 年〜 1601 年においてである。エリザベスは法律制定を拒否する力を自由に行使したが、対立は避け、憲法における英国議会の地位と権利を定義づけようとしなかった。

【エリザベス一世の調査 第18段落】  エリザベスは結婚しないことを選んだ。もし彼女が外国の王子を選んでいたなら、その王子は自身の利益のためにイングランドを外国の政治に引き入れていただろう。(エリザベスの姉のメアリー一世とスペインのフェリペ二世との結婚のように。)また、自国の男性と結婚していれば、エリザベスは派閥間の内部闘争に巻き込まれていただろう。エリザベスは自身の結婚の可能性を外交と国内政治の道具として用いた。しかし、本当の意味において、ヴァージン・クィーンは'結婚していた'のだが、彼女は国家の利益のために個人の幸せを犠牲にした私心のない女性として示された。治世の後半、 1601 年のいわゆる「 Golden Speech 」で、エリザベスは英国議会に向かって演説した。 ' There is no jewel, be it of never so high a price, which I set before this jewel; I mean your love. '彼女は国民の大多数にとても人気があったようだ。

【エリザベス一世の調査 第19段落】  概して、エリザベスはいつも抜け目がなく、必要な時は断固としたリーダーシップを発揮し、国内外における危機の時代を成功へと導いた。彼女は 1603 年 3 月 24 日にリッチモンド宮殿で亡くなり、伝説となった。彼女の即位の日は 200 年間イギリスの祝日であった。

以上。
<もっと詳しく>からスペースを含まず14022文字/文責:幸田幸

参考資料:「映画の森てんこ森」映画タイトル集
       http://www.coda21.net/eiga_titles/index.htm
      IMDb
      allcinema ONLINE
      Nostalgia.com
      CinemaClock.com
      The life and times of Queen Elizabeth I
       http://www.elizabethi.org/
      The official web site of the British Monarchy
       http://www.royal.gov.uk/output/Page1.asp
      StreetSwing's Dance History Archives Volta
       http://www.streetswing.com/histmain/z3volta.htm
      Information Please: On-Line Dictionary, Internet Encyclopedia, Atlas, &       Almanac Reference
       http://www.infoplease.com/index.html
      Shakespeare's Life and Times Home Page
       http://web.uvic.ca/shakespeare/Library/SLTnoframes/intro/introsubj.html
      中西輝政(著)「大英帝国衰亡史」
■映画『 エリザベス (1998) ELIZABETH 』の更新記録
2002/11/30新規: ファイル作成
2004/07/09更新: ◆テキスト一部とリンクおよびファイル書式
2005/03/15更新: ◆一部テキスト追記と書式変更
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幸田 幸
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