テレビっ子
テレビっ子@映画の森てんこ森
テレビっ子
2002年10月10日木曜日
 映画「パリの確率」のレヴューで「少子化問題」について触れました。その時に関連のテキストとして「テレビっ子」という古い言葉にぶつかりました。

 そういえば幸が小学生の頃、担任の先生がホームルームにテレビを何時間見るかというアンケートで、平均が3時間ぐらいなのに、友達と幸の二人だけが6時間は見ていました。無記名だったのですが先生は「えっ!?6時間も見ている人がこのクラスで2人いますよ。すごいですね。」とビックリされたのを思い出します。今でも幸はテレビっ子です。でも1日6時間も見る余裕は今ではありませんが…。

 そもそも「テレビっ子」の出現はいつなのでしょう。
 平成11年11月1日(月)横浜市企画局の第3回「21世紀の子どもと教育を考える懇談会議事要旨」での千葉大学教授明石要一委員の「戦後の子どもの社会史」を読むとよくわかります。昭和40年以降生まれは俗にテレビっ子と呼ばれるらしいのです。
 
テレビっ子
<CiaoBear and CiacoBear watching TV in a Japanese room> image by Sati  
 幸は「テレビっ子」という言葉から「おばあちゃんっ子」を頭の中でリンクします。「おばあちゃんっ子」は文字通り「おばあちゃん」が母親同様に孫を可愛がります。2世代同居で父母が共働きの場合はおばあちゃんの存在は大きいと思います。孫は、愛情一杯で物質的にも色々なものを買い与えてくれる祖母になつきます。当然孫の持つ情報の何パーセントは祖母から得たものでしょう。
 しかし「都市化・核家族化・少子化」となると「おばあちゃん」は家庭にはいません。遊び相手は「テレビ」なのかも知れません。少子化と教育に関する小委員会(第10回)議事録(1999/11/30 文部科学省中央教育審議会議事録より)では、面白い意見を読みました。幼児時代のビデオやテレビの長時間視聴の影響や、大人が子育てに工夫しないで手を抜くテレビ利便性について私なりに納得しました。

 幸はいろんな面でテレビに影響されます。毎日のTV番組は決まって見るものがありますがそれはちょっと置いといて、ニュースは毎日欠かさず見ます。最近は昨日ノーベル化学賞をもらった島津製作所研究所員の田中耕一さん、その前はノーベル物理賞の小柴昌俊東京大学名誉教授さん、拉致問題を材料にして何が何でも経済援助を迫ろうとする北朝鮮のせこい外交テクニック、サウジ・アラビアの王様の360億円(?)何がしの大判振る舞い、ベルリン・マラソンで達成した高橋尚子選手の六連勝、カブレラのホームラン新記録と松井の三冠王争い、激しいパンチを受けて血みどろのアーネスト・ホーストのドクターストップ、三菱重工業長崎造船所の豪華客船ダイヤモンド・プリンセス号の火災、ついつい気になって見てしまい補正予算や不良債権処理と公的資金導入のコメントは聞き逃してしまうほどの福田康夫官房長官の長い鼻の下(スミマセン)などなど。枚挙に暇がありません。

 「テレビっ子」幸は小中高で覚えた歌やCMソングは忘れたいと思っています。毎日見てきたわけですから、膨大なデータが書き込まれて幸の頭の容量が少なくなってきているのではないかと思うときがあります。思い出して歌ってはダメです。又データが更新されます。NHKのイタリア語会話で、世界的三大テノール歌手のルチアーノ・バブァロッティ氏がジローラモさんのインタビューで、繰り返すことが語学のコツと答えていたように、確かに語学学習はそうですが、TVで書き込まれた情報を忘れたい幸には、思い出しては更新する「繰り返し」作業は、絶対ダメです。
 それでも、解っていながら毎日TVを見てしまいます。

【参考資料】
 http://www.city.yokohama.jp/me/kikaku/proj/kko/gijiroku3.html
 http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/12/chuuou/gijiroku/001/991101.htm
 http://www.japan-journals.co.uk/dailynews/020903/news020903_1.html

coda21「映画の森てんこ森」幸田幸。
coda_sati@hotmail.com
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