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 シャイな幸の独り言
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モン・サン・ミッシェル
MONT-SAINT-MICHEL

この写真は 2002 年 4 月、abbaye du Mont-Saint-Michel(モン・サン・ミッシェル)で幸が撮ったものです。
2000年05月23日(金)
 イギリス海峡 la Manche に面したフランスのノルマンディー地方 Normandie をバス旅行。どんよりとした空の下に広がる干潟(ひがた)、そこに忽然と現れた小島に聳え立つ要塞の様な修道院。バスの中からカメラのシャッターやビデオを回す音がちらほら。

http://www.monum.fr/ から引用
  1979 年より世界文化遺産に指定された、モン・サン・ミッシェル修道院 abbaye du Mont-Saint-Michel へやって来ました。4月とは言え、まだまだ寒いです。バスを降りると、海の風が冷たく、軽装を後悔しました。そして眼前の巨大な建物に圧倒!円錐状の岩山にこんなモノを建てるなんて、まさに"西洋の驚異 Merveille de l'Occident "です。

 時代の流れの中で、イギリスの攻撃を防ぐ要塞や、フランス革命の頃は監獄としても使用された、ベネディクト会の僧院モン・サン・ミッシェルは、現在多くの観光客で賑わっています。古い歴史を持つ、「大天使ミカエルの山」という名の修道院の創設にはこんな伝説があります。
 昔々、708 年のある寒い夜のこと、アヴランシュの司教オベール Aubert, eveque d'Avranches は、後のモン・サン・ミッシェル、トンブ山 Mont-Tombe で数日過ごしていました。彼はそこで啓示を受けます。大天使ミカエル(サン・ミッシェル) l'archange saint Michel が彼の夢に現れ、オベールにとても重要な任務を任せました。それは仲間達を守る為にその山の岩の上に聖堂を建てることでした。それは簡単な仕事ではありません。

 オベールは朝起きるまでに、見た夢を忘れていました。それで大天使ミカエルはオベールが行動を起こすまでに、3度も彼の元を訪れなければなりませんでした。3度目の夜、議論をし尽くし、大天使ミカエルはより強烈なアプローチに出ます。大天使は司教の耳元で囁きました。「オベール、お前はここに私の名を付けた聖堂を建てなければならない!」そう言うと共に、大天使は念押しにオベールの頭に指を突き刺しました。これでメッセージは本当に伝わったのでしょう。

 オベールは頭痛もなく目覚めましたが、自分のすべきことをしっかり覚えていました。もし大天使ミカエルが自分の聖堂にこの場所を選んだのなら、いつかここの人々に大天使の力が必要となる日が来るのかもしれない!オベールは大天使からの指示を実行する為に急いで仕事に取り掛かりました。
 
 そしてその日はおよそ 700 年後にやって来ました。 15 世紀の初め、モン・サン・ミッシェルはイギリスの包囲攻撃に対して持ち堪え、有名な勝利を得たのです。百年戦争 la guerre de Cent Ans (フランスの王位継承問題、羊毛工業地帯フランドルの主導権争いなどが原因となり、 1337〜1453 年の間、断続的に戦われた英仏間の戦争。前半、英国が優勢だったが、『 ジャンヌ・ダルク (1999) JEANNE D'ARC 』のオルレアン解放などにより形勢は逆転し、カレーを除く全フランスから英軍が撤退して終結。<大辞林より>)はフランスの勝利に終えられました。

 オベールが、大天使ミカエルの夢が本気であると思ったのは、この天使が持つ宗教的背景のせいです。聖書の中に4回登場するという大天使ミカエルは、キリスト教で4つの役目が与えられています。1つは、悪魔と闘うこと。天使の軍団長である大天使ミカエルは、悪魔の象徴である竜を打ち倒し、地上に追放しました。2つは、特に死の時において敵の力から忠実な人々の魂を救済すること。3つは、神の人々や、ユダヤ人、新約聖書のクリスチャンたちの擁護者であること。4つは、最後の審判を迎えた日の魂を癒すことです。中世騎士から保護者であると考えられ、兵器や秤に関連した職業を発展させたとされる大天使ミカエルは、キリスト教関連の書物の中では、剣と秤(はかり)を持った姿でよく描かれているそうです。鐘塔の上に立つ、モン・サン・ミッシェルの大天使ミカエルの像も、もちろん剣と秤を持っています。

 大天使ミカエルの名前はヘブライ語では「誰が神に似ていますか?」という意味だそうです。ラテン語でミカエル、フランス語でミシェル、英語でマイケル、ドイツ語でミヒャエル、イタリア語ではミケーレ 、スペイン語ではミゲーレ、ポルトガル語でミゲル、ロシア語ではミハイルとなります。

 モン・サン・ミッシェルは数世紀に渡って増改築が繰り返されたので、ゴチック様式やロマネスク様式といった中世の建築様式が入り混じり、独特の空間を作り出しています。 1203 年から 1228 年にかけて建設された"ラ・メルヴェイユ La Merveille "と呼ばれる海側の建物は、その"驚異"という名に相応しく、ゴチック建築の傑作となっています。そしてまた違った意味での驚異は、モン・サン・ミッシェル名物のオムレツの味。その藁草履(わらぞうり)ほど大きなオムレツの味は…。でも、記念にやっぱり食べてみるべきだと思います。

 そのオムレツの考案者は、 1888 年にモン・サン・ミッシェルに宿を開いたアネット・プラー Annette Poulard という女性のコックだそうです。彼女はその創造的な料理や天然のユーモアで、フランスのみならず世界中で有名になったそうで、 1888 年からずっと現在もモン・サン・ミッシェルにはラ・メール・プラー La mere Poulard (プラーおばさん)というホテルがあります。オムレツの味はともかくとして、ラ・メール・プラーのクッキーはとても美味しい。大阪府和泉市光明池にあるカルフール Carrefour で見つけたときは嬉しかった(日本では値段が高いけどサ)。

 あんまり寒かったから、細い参道に立ち並ぶお土産屋さんの1つで、モン・サン・ミッシェルのロゴ入りトレーナーを買いました。日本でいうと、「熊野詣」と書いたトレーナー(もしあったら結構イケてる?)を着ているようなものかもしれませんが、私は気に入ってます。また、知り合いの子供3人にモン・サン・ミッシェルのお土産Tシャツを買ったのですが、そのお母さんに「モン・サン・ミッシェル?そんなデパートあるの?」と言われた時は、私も潮のように引いてしまいました。そのTシャツ、安くなかったのに〜!世界遺産なのに〜!(T_T)

 嘗ては潮の干満が激しく、命を落とした巡礼者たちも沢山いたらしいですが、 1875 年に作られた島と陸地を結ぶ道路のお陰で、陸地との行き来が楽になりました。しかし、それが海に浮かぶ修道院モン・サン・ミッシェルの神秘的な景観と周囲の生態系を壊す原因となっているようです。道路で潮の流れが堰き止められ、周辺が陸地化されてきているのです。 2003 年から 5 年の歳月を掛けてこれらの問題に何らかの対策が打たれるようです。商業主義に日和らず、人類の文化遺産と自然環境の両方を守るという偉業を成し遂げるには、その事業関係者の方々の頭に大天使ミカエルの指を突き刺してもらわないといけないのかもしれません。 Bon courage!
モン・サン・ミッシェル 03
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これらのイラストは、http://www.monum.fr/ から引用しています。

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